Blog

掃除の歴史(奈良時代)

古事記の中の清掃

皆さんご存じでしたか?
日本最古の歴史書・文学書である古事記に、清掃の記録が残されているんです。
古事記が作成されたのは712年、国の誕生から推古天皇の時代までの神々の世界や天皇家の系譜を全3巻で描いているのですが、その中に清掃に関する記述があるのです。

古事記の中に、
「天若日子の死後、その妻の下照比賈が喪屋を建てて、鷺を掃持(はきもち)した」
という一節があります。これは箒で掃き出し喪屋を綺麗にすることで、死霊が再び家に帰ってこないようにという儀式なのだそうです。(ちなみに鷺が出て来るのは、これらは古代の鳥霊信仰にもとづくものとされています)
また、箒に関しては「箒持」のほかに「玉箒」との記載されております。玉は人間の霊魂のことで、祭祀用の道具として登場しています。

庶民の間でも箒は神聖なもので、神様が宿ると考えられていました。
例えば、箒神(はきがみ)という神様は、出産に関する神様のひとつで、出産時に無事に掃き出すという安産の神様です。その為、安産を祈願して箒で妊婦のお腹を撫でるといった、習慣もあったそうです。単なる清掃の道具ではなく、神聖なものなのだという事がわかります。

「ハク」・「ハタク」・「ハラウ」などの語が用いられるようになったのも、この頃からだそうです。

    

古事記の中のトイレ

古事記の中には、川の流れる溝の上に厠(トイレ)を設置したというような表記があります。川の上に家を建てたことから「かわや」と呼ばれた節もあります。

奈良時代の貴族の屋敷では、今でいう水洗トイレがありました。
絶えず水が流れている道路側溝を自宅に引き込み、水流の上で用を足したと考えられる遺構が見つかっています。大便は、そのまま流れ出ていかないように、少し先に沈殿させるための穴を設けて、その上澄み水を元の道路側溝に戻していました。道路側溝や沈澱穴の掃除は、雨の降った日の翌日に、囚人たちを使って行っていたそうです。

35)古代のトイレは - なぶんけんブログ

この水洗トイレは一部の貴族階級のみが使用しており、同じ時代に生活していた一般的な人たちは、道端(みちばた)などで用をたしていたようですね。

   

奈良時代の清掃、いかがでしたでしょうか?
まだまだ、神聖なものとしての清掃の色が強い奈良時代、平安時代になると掃除をしてきれいに保つことの価値がだんだんと決まっていく様子が見られるようになってきます。
それはまた、来週書こうと思います。

最後まで、読んでくださりありがとうございます♪

Translate »