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掃除の歴史(江戸時代 その1)

江戸時代は循環型社会だった

江戸時代はリサイクルの時代であり、世界に誇れる循環型社会であったと言われています。
現代でいう循環型社会とは違うのは、ゴミ処理や地球環境保護のためのものではないということ。そもそもモノが乏しかったこの時代は、どんなものであっても(灰のように現在は厄介者扱いされるものでさえ)貴重な資源でした。庶民にとって新品はとても高価なもので手に入れるのは容易ではありませんでした。このような状況の中で生活をしていくために、ほとんどすべてのものをリサイクルし、使い続けていたのです。
その証拠に、江戸時代には沢山のリサイクル業者が存在し、修理・再生・回収の専門業者として生計を立てていました。

多種多様な江戸時代のリサイクル業者

では、どんなリサイクル業者がいたのか見てみましょう。

*紙屑買い
紙くず?いやいや貴重な商品だぜ!!
不要になった帳簿などの製紙品を買い取り、仕分けをし、漉き返す業者に販売していました。

*紙屑拾い
町中の紙くずだって、ゴミなんかじゃない!
町中を歩き回っては落ちている古紙を拾い、古紙問屋へ持っていって日銭を稼いでいました。

*鋳掛屋(いかけや)
ナベや窯(かま)の修理、お任せあれ!
江戸時代には鍋釜に穴があいても捨てることはありません。穴をふさいでいつまでも使いました。鋳掛屋は「ふいご」と火鉢を持ち歩き、頼まれれば即座にハンダ付けをして直していました。

*瀬戸物焼継ぎ職人
欠けたり割れてしまった陶磁器は任せとけ!
接着剤には白玉粉(!)を使い、再び焼いてくっつければなんの問題もなし。江戸の食卓をばっちり支えた頼れる存在。

*古着屋
今も江戸時代も古着屋は人気!
江戸時代、布はすべて手織だったので高級な貴重品でした。江戸の町には4,000軒もの古着商がいたそうです。

*古傘骨買い
折れた傘、捨てちまうなんてもったいない!!
当時の傘は竹の骨に紙を貼り付けたものでした。その竹の骨を集めるために、古傘骨買いさん達が大活躍。その後、専門の古傘問屋が集めて油紙をはがして洗い、糸を繕ってから傘貼りの下請けに出しました。油紙も丁寧にはがし、特殊な包装用に売っていたそうです。

*古樽買い
古い樽だって買いまっせ!
樽の中身がなくなったら、古樽を専門に買い集める業者が買ってくれて、空樽専門の問屋へ持っていきました。

*取っけえべえ
「取っけえべえ、取っけえべえ」と歌いながら歩く子ども相手の行商人で、子どもが遊びながら拾い集めた古釘などを簡単なオモチャや飴などと交換し、古い金属製品などを集めました。

*ロウソクの流れ買い
ロウソクは溶けても価値は溶けない!
ロウソクは貴重品でしたから、火を灯したロウソクのしずくを買い集める業者がいました。

*灰買い
灰を厄介者扱いするんじゃないよ!
現代では、厄介者扱いされている灰。薪などを燃やすと灰が出ますね。この灰を買い集め、肥料として農村に売っていたのが灰買いです。民家では、箱などに灰をためておき、湯屋や大店など大量の灰が出るところでは灰小屋に灰をためて、灰買いに売りました。

*肥汲み
人間の排泄物は、最高の肥料だ!!
人間の排出物(下肥)は、1955年頃までの日本の農村では、もっとも重要な肥料でした。下水道のなかったころのヨーロッパでは、排泄物は窓から捨てており、衛生状態が非常に悪かったために、伝染病のペストが繰り返し大流行したほどですが、日本では、貴重な資源として扱われていたのでした。

他にも、雪駄修理屋や下駄修理屋、提灯の貼り替えにそろばん直し。煙管の竹菅の部分を修理したりメンテナンスする業者までいて、嗜好品ですら使い捨てせずに使用していたんですね。寺子屋で使用していた教科書は学校の備品であったため、1冊の教科書が100年以上使用されていたという記録もあるそうです!

   

これだけのモノ・コトを循環させていたので、経済成長率は低かったそうですが、徹底された江戸時代のリサイクルシステムは現代でも学ぶところが多いのも事実。
まだまだ沢山ご紹介したいことがあるので、続きは次回といたします。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

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