Blog

掃除の歴史(平安時代)

神事としての清掃

「掃き清める」
箒で掃くことをこう表現することがありますよね。この清めるという行為は、悪い神様や霊を追い払い、身を清めるという意味合いがあります。
平安時代では、掃除というものが単にキレイにするという意味と共に、神事の意味合いを持ち合わせており、箒という掃除道具が、神器のように扱われていたそうです。
掃除には、身を清め健康や長寿にもつながる力があるということを平安時代の人たちは知っており、これはつまり掃除の価値をしっかりと認識していたことに繋がります。

      

「煤払い」をする習慣が生まれる

「すす払い」の歴史は古く、始まりは平安時代の宮中行事だったと言われています。(定着するのは江戸時代になるのですが、それはまた書きますね)
なんと平安時代の法律についてまとめた書物『延喜式(えんぎしき)』には、「すす払い」をどのような手順で行うのか詳しく書かれてありました。また平安時代後期から鎌倉時代を6代将軍・宗尊親王までを編纂した『吾妻鏡(あづまかがみ)』にもすす払いの記述があります。
この頃は、先にも書いた通り、清掃をして宮中をキレイにするという意味に加えて、厄を払い翌年の豊穣を願うために、「年神様」をお迎えするための儀式であったそうです。

    

平安時代の雑巾掛け

平安時代に流行した装飾経の遺品のひとつであり、扇形の料紙を使用し、濃彩の下絵を用いる『扇面法華経冊子』には、棒の先端に雑巾を装着したもので貴族の邸宅を掃除する舎人の姿が描かれています。

『扇面法華経』や『春日権現験記』をもとに小泉和子さんが考案・監修して復元された「棒雑巾」と「羽箒」。大阪府吹田市の「ダスキンミュージアム」に展示されている 

手で雑巾がけしていたんじゃないんだ!
と思った方もいるかと思いますが、これには理由があります。それは平安時代の貴族邸の作りが「寝殿造り」であったことと床が「板張り(現代のフローリング)」だったからなんです。
寝殿造りを簡単に説明すると、壁がないどでかいワンルーム。ただし、3m間隔で柱がたっていて必要に応じて屏風や御簾、布などで壁替わりとしていました。その床材がフローリングなので、現代のモップのような道具を使う方が効率が良かったのだと思います。そして、柱などの高所を清掃するときには、現代のクイックルワイパー、羽箒をつかって除塵していたのでしょうね。

    

終わりに

建物の構造や床材などによって、使用する道具を選定することは、現代の清掃でもとても大切なことであり、この時代の清掃の知恵に触れてワクワクしてしまいました。羽には微弱な静電気によってホコリを吸着させる力があることを知っていたということにも驚きです!
清掃って楽しいですね!!

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

Translate »