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掃除の歴史(戦国時代)

合戦後の戦場の掃除

戦国時代、各戦国大名の領地争いにより、各地で戦が行われていました。
TVや映画などでは、その戦を壮大なスケールで描いており、皆さんも目にしたことがあるかと思います。
では、合戦の後に多数の死体が転がるその場所はどのように処理されていたのでしょうか?

まず、興味深いことに戦国時代の合戦では、想像するよりも人は死んでいないかったそうです。関ヶ原の戦いには20万人もの兵が出陣していますが、死者は5000人ほどだったそうで、割合的には少ないですよね(人数としては大変な数ですが)。戦争による死者数が急激に増えるのは、第一次世界大戦のころからで、ダイナマイトの発明が死者数を急増させました。

話がそれましたが、合戦後の戦場の掃除。これは勝ち軍が行っていたと考えられます。その理由としては、負け軍は領地を奪われたため戻ってこれない。勝ち軍は敵の武将や兵にどれだけ損害を与えることができたかを正確に確認する必要がある。戦利品を集める。などの作業が必要だったからです。
この作業は、その土地の農民などが行うこともあり、これは戦のあとにその土地で農作業をしていくための資金としていたそうです。
中には、私利私欲のために、戦後の戦場で戦死者が身に着けている道具などを強奪していく輩もいたそうで、もちろん軍に見つかると処刑されていたそうです。

こうして身ぐるみを剥がされてしまった遺体は、「黒鍬」と呼ばれる雑役集団が戦場掃除をし、まとめて埋葬したり、地元の僧侶や農民らが埋葬を行っていたそうです。

因みに、戦場を片付けている間は、敵軍は戻って戦いを挑むことは、暗黙の了解で禁じられていました。武士の心意気を感じますね。

  

お城の掃除

お城の掃除に関しての資料が見つからないのですが、各将軍家ごとの個性が強く表れ、これといったものはなかったように思います。キレイに清掃・整理整頓ができていた軍もあれば、雑で汚い軍もあったでしょうね。それは現代の会社と同じような気がします。
何か面白い資料が見つかったら、この辺りはまたブログに書きたいと思っています。

   

戦国時代の掃除。主に戦場の後片付けのことを書かせてもらいました。最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
次回は江戸時代。実は江戸時代は、超循環型社会であり世界も驚かせるリサイクル国家でした!次週をお楽しみに!!

ではでは、素敵な一週間をお過ごしください。

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